Ririko Yamaguchi
夕焼けをみていた
体の中に
夕焼けがしみこんできた
どさりと音がして
となりをみると
わたしの中の鬼が
オレンジ色に染まって
おとなしく座っている
そのまま しばらく
二人で そうしていた
何も語らず
ただ
夕焼けをみていた
鬼とオレンジ (絵・黒井健)
この雨のはじまりは
あなたがいれたコーヒーの
こぼれた一滴だった かもしれない
この風のはじまりは
あなたがどこかで吹いていた
かすれた口笛だった かもしれない
雨のなかに 風のなかに
あなたをみつける
海のなかに 月のなかに
あなたをみつける
遠くの あなたを
そして
目をとじて 宇宙の壁に手をのばせば
地球は
たっていられないほどに
ちいさくなって
あなたとわたしの距離は
なくなった
距離 (絵・宇野亜喜良)
夕焼けを 指先でとかして
くちびるにつけた
ケータイなんて携帯しないで
わたしを移動させてしまえ
紅くそまったくちびるの奥では
言葉たちが
われさきにと
入り口につめよっている
まちに灯がともる頃
わたしのちいさな夕焼けは
言葉をとどけることもわすれて
あなたにとかされてしまった
くちびる (絵・米津祐介)
誰かの夜から手がのびて
羊が一匹ずつ さらわれていくので
僕は毎日 羊をつくるのに忙しい
雲をつまんで 羊をつくる
いかにも眠そうで
性格のおだやかな羊を
時にはシューベルトなど
口ずさみながら
羊を一匹、羊を二匹…
そうして できあがった羊を
やわらかな草の上に 静かにのせていく
羊を一匹、羊を二匹…
雲が つぎつぎとぬすまれていくので
空では 天使がホルンを吹いている
のんびりとした
つやの良いホルンの音から
雲はできあがっているらしい
シューベルトの羊 (絵・野村直子)
満月の夜の汽笛には
気をつけなくてはいけない
魂がそっとぬけだして
夜汽車に乗っていってしまうから
冬の澄んだ空気は
遠くへと汽笛をはこび
誰かの体からこぼれた者たちが
行き先もしらずに すいよせられてゆく
銀の線路を
お客でいっぱいになった夜汽車が
ゆっくりとはしる
眠る体が 夢の出口をくぐる頃
汽車は できたての朝日に溶かされ
お客たちは さびしい流木のように
それぞれの町へと漂着する
遠くの駅の
はじめて訪れた場所で
ふいに
もう一人の自分と
すれ違ったような気がするのは
月夜の汽笛のしわざなのかもしれない
月夜の汽笛 (絵・高橋キンタロー)
旅の途中で 手紙をかく
どうしても伝えたいことなど
一行もないけれど
トン トン
あなたをノックしたいだけの
「お元気ですか」
ドアは かわいた音をたてるだろう
返事はなくてもいい
どこかに素敵な山羊がいて
配達の途中で食べられてしまってもかまわない
旅の途中で 手紙をかく
古びた喫茶店の窓辺の席
祝祭的な光の差し込むなかで切手をはったら
わたしは
もう充分に満足して
二杯目のコーヒーを注文する
手紙 (絵・小太刀克夫)
道端に置きざりにされた
片方の手袋の
幸せな結末を考えている
たとえば それは
誰か優しき人の手によって
毛糸がほどかれ
小さな手袋に生まれかわること
たとえば それは
つがいであることをはじめから拒否して
ひとつの
完全なる鍋敷に生まれかわること
思いつく限りの
幸せな結末を考えてみるのだが
それは
一番幸せな結末を
葬ることになるのである
君が本当にそうしたいというのなら
雨にぬれても
靴にふまれても
そこで
待ち続けるがいい
君が
どこかでひとりぼっちになっている
もうひとりの片方と
再び会いたいと願うのなら
二番目に幸せな結末 (絵・磯谷裕美)
どこかで バラのつぼみが開き
まだ語られることのなかった秘密を
この世界につぶやく
蝶は その秘密をつかまえて
午後の庭の 一枚の葉に届けた
風は 一枚の葉を
ひとりの 年老いた詩人のもとに届けた
老詩人は
窓から舞いこんできた一枚の葉をながめる
そこには
風が見えた
蝶が見えた
開いたばかりのバラが見えた
老詩人の書いた詩を読むこと
それは
一枚の葉に、風に、蝶に、バラに、
触れること
運がよければ
つぼみにかくれていた秘密は
むこうから そっと
語りかけてくるだろう